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大阪地方裁判所 平成9年(わ)407号 判決 1997年6月11日

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中九〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予し、その猶予の期間中被告人を保護観察に付する。

押収してあるペティナイフ一本(平成九年押第二八六号の1)及び文化包丁一本(同押号の2)をそれぞれ没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、かねてから妻が寝たきりで、自らも老齢、病弱であるうえ妻の看護にあたるため定職にも就かず、蓄えを切り崩して生活をしていたが、平成九年一月末には居住しているアパートの家賃三万円余りの支払期限が到来するうえ、同じアパートに住むAから平成八年末に借りていた五万円の返済期限も迫っていたにもかかわらず、同年二五日ころになっても支払いのめどが全くつかず、所持金も一〇〇〇円程度になり、この際は強盗でもして他人から金品を奪取するしかないと考えるに至った。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  金員を強取しようと企て、平成九年一月二五日午後五時四〇分ころ、かねてから女性一人が店番をしており、店自体も奥まった場所にあるので人目につきにくく犯行が容易だと思い目を付けていた、大阪府豊中市<番地等略>クリーニング店○○○に赴き、同店において応対にあたったB(当時五九歳)に対し、あらかじめ準備した刃体の長さ一三・一センチメートルのペティナイフ(平成九年押第二八六号の1)を突き付け、「金を出せ。一〇万円出せ。警察に言うたら殺すぞ。」と申し向け、さらに、応対にでたC(当時六一歳)に対しても同様に、右ペティナイフを突き付け、「金を出せ。一〇万円出せ。警察に言うたら殺すぞ。」と申し向けて右両名の反抗を抑圧し、右Cから現金五万円を強取し

第二  前記日時場所において、業務その他正当な理由による場合でないのに、前記ぺティナイフ及び刃体の長さ約一五・一センチメートルの文化包丁一本(前同押号の2)を携帯したものである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、第一事実について、本件犯行当時の被告人の容貌・話し方等の外貌、犯行態様、被害者の反応及び犯行現場の客観的状況等を総合すれば、被告人の行為は未だ被害者らの反抗を抑圧するに足りるものではないので強盗罪は成立せず、恐喝罪が成立するにすぎない旨主張するので、以下この点について検討する。

一  まず被告人の外貌の点であるが、確かに被告人は犯行時七二歳の老齢でしかも歯が抜けて話し方に多少迫力を欠いていたと思われる。しかし、被告人は犯行時帽子、マスク及びサングラスで変装しており、直接顔や年齢が分からないようにしていたこと、被害者らはナイフによる脅迫という緊急事態下においてはじっくりと被告人を観察するいとまがなかったと考えられること、また右のような緊急状態下での脅迫文言であるので、被告人の話し方に多少迫力を欠いていたとしても、被害者らに十分な恐怖心を与えることは可能であること等からすれば、被告人の犯行時の外貌を根拠に被害者らの反抗を抑圧するものではなかったということはできない。

二  次に犯行態様であるが、被告人が突きつけたナイフの刃先と被害者らの身体との距離は数十センチとやや距離があいており、また被告人の年齢や健康状態からするとナイフを持った手が多少震えていた可能性も十分ある。しかし、ナイフは被害者らの身体の枢要部である胸元に向けられ、身体と刃先の距離が数十センチメートルであれば、被告人が少し前進すれば容易に刃先が身体にあたりうる。「警察に言うたら殺すぞ。」という脅迫文言について、被告人は当公判廷において否定するが、被害者両名及び被告人が犯行直後の段階から具体的に供述し、その内容も一致しているところであり、信用性は高く、証拠上右脅迫文言の存在を認めることができる。

そして、右脅迫文言に加えて、被害者らに突きつけたナイフの刃体の長さは一三・一センチメートルに及んでおり十分な殺傷能力があることも合わせ考えると、被告人の脅迫行為は客観的に被害者の反抗を抑圧するに十分なものということができ、この場合に多少被告人の手が震えていたとしても右結論を動かすものではない。

三  次に被害者らの反応については、CがBに「月光仮面みたいなのが来てるで。」と言ったのは被告人の脅迫前であり、またBがCに「お父さん、えらいものが来とるよ、金出せいうとるよ。」と言ったその言葉自体からも十分に被害者らの恐怖心を看て取ることができるのであるから、これらの言葉を被害者らが発していたからといって被害者らが反抗を抑圧されていなかったということはできない。

また、Bが用意してきた一〇万円のうちCが一部しか受け取らずしかも受け取った中から五万円しか被告人に手渡さなかったというようなある種の計算をする余裕があったとしても、奪われる金を少しでも少なくしたいという心理状態は反抗抑圧状態下でも併存可能であるので、このことからもCが反抗抑圧状態に陥ってなかったということはできない。

四  さらに犯行現場の客観的状況については、犯行現場である店舗の奥は住宅となっていてその玄関が犯行現場から数メートルの距離にあったのに加え、右住宅奥には成年に達した息子がいたのであるから、被害者らは犯行現場から直ちに逃走し、又は息子を通じて助けを求めることが不可能ではなく、実際右息子が警察に電話で通報しているのである。

しかし、被害者らは被告人に「警察に言うたら殺すぞ。」と言われて刃体の長さ一三センチメートル余りにも及ぶナイフを胸元近くに突きつけられて脅迫されていたのであるから、逃走ないし助けを求めた瞬間にナイフで突き刺されて殺されるのではないかという強度の恐怖心を抱いていたことが認められ、被害者らにおいて右のとおり、直ちに逃走ないし助けを求めることが不可能ではなかったとしても、被害者らが反抗抑圧状態に陥っていなかったとはいえない。

五  以上検討したように、被告人の脅迫行為は被害者らの反抗を抑圧するに足りるものではないとはいえないから、弁護人の主張は理由がなく採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二三六条一項に、判示第二の所為は銃砲刀剣類所持等取締法三二条四号、二二条にそれぞれ該当するところ、判示第二の罪について所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中九〇日を右刑に算入し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から五年間右刑の執行を猶予し、

なお同法二五条の二第一項前段を適用して被告人を右猶予の期間中保護観察に付し、押収してあるペティナイフ一本(平成九年押第二八六号の1)及び文化包丁一本(同押号の2)は判示強盗の用に供し、又は供しようとした物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、ナイフで脅迫して金員を強取したという事案である。

被告人は脅迫の道具として十分な殺傷能力を持つペティナイフを被害者らの身体の枢要部である胸元数十センチメートルのところに突き付けており、犯行態様としては極めて悪質であること、右ナイフのほかにも予備の文化包丁や逃走用の目潰しとして洗浄スプレー、身元が割れないように帽子、サングラス、マスク及び手袋、更には背を高く見せて脅迫の効果を増すために紙で作った上げ底をかかとに付け、しかも犯行の約一時間前に被害者らの店を下見するなど周到に準備をした悪質な計画的犯行であること、金策に窮したので他人から金員を強取するしかないと考え犯行に及んだという短絡的かつ自己中心的犯行であることなどに照らせば、犯情は悪質であり、これだけをみれば優に実刑が相当な事案といいうる。

しかしながら、本件犯行によって強取された五万円は、被告人の要求する一〇万円を被害者側で減額して差し出したものであるが、犯行後直ちに被告人が警察官に逮捕されたことで被害者らに返還されており財産的損害は回復されていること、本件犯行の動機が、妻の病気の看病及びこれに伴う被告人の疲労及び極度の貧困に基づくものであり、それゆえかつては妻を殺害するもやむなしと思い詰めたこともあり、その心情は同情するに値するものであること、しかも右貧困状態に対する公的な援助がなされなかったことについては被告人にその責めを帰せしめることが必ずしもできないこと、被告人は病弱・高齢であるにもかかわらずこれからも寝たきりの妻の看病をしなければならず、特に現在妻は他に身よりもない状態で入院しており、唯一の身寄りである被告人と別れて暮らしていることから精神状態もかなり不安定であると認められること、その意味では、被告人を妻の元に返すことが急務であること、この種事案では稀ではあるが、このような被告人の実状を聞き及んだ被害者両名には強い処罰感情が認めがたいこと、前科前歴が全くなく、深く反省している態度が窺えること、アパートの管理人が被告人の更生に協力することを誓っていることなど被告人に有利もしくは同情すべき事情が多々存在する。

これらの諸事情を総合考慮すれば、情状に酌量すべきものが認められるので今回は酌量減軽をした上、その刑の執行を猶予するのが相当であるが、諸般の事情を考慮すれば、被告人にはその猶予期間中保護観察に付し、保護観察官又は保護司による指導、助言を与えるのが必要であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 今井俊介)

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